Profile

渡邊嶺について

渡邊 嶺 Rei Watanabe

1987年9月3日生まれ 東京都三鷹市出身

3歳の時に、親へサッカーがしたいと言ってから、サッカー一筋のサッカーバカ。

【学生時代】

小学校から身体が大きく、小6の時には170cmあった。そして足も速かったため、フィジカルに頼ったプレーに終始し、まったく技術がない選手に。リフティングも100回すらできない、今の子供達からすればありえなかった。

しかし、自分ではうまくなくても結果を残すことに集中していたため、まったく気にしなかった。

中学の時には、地元の公立中学校で運良く実力のあるメンバーが集まり、サッカー漬けの毎日。毎日練習が終わってからも公園に行って練習するくらいのサッカーバカばっかりのおかげで、東京都で優勝し、東京都の選抜に選ばれることができた。

選抜で行った、スペイン遠征であまりに違う環境にカルチャーショックを受ける。そしてもう一度スペインに来ようと決意。またこの時期に淡い期待を抱いていた、サッカー選手としての道は諦める。

中学時代には、東京都の新人戦で優勝したが、その大会には全国がなかった。非常にいい経験になったのだが、優勝を経験した僕らには慢心があったと思う。その後の大会では実力を発揮できずに負けてしまった。実力があっても発揮できないというこの経験は人生において非常に大きな教訓になった。

高校ではなんの迷いもなくサッカーで学校を選んだ。中学3年の時に東京都予選で優勝した国士舘高校に入学を決めた。東京都予選をテレビで見た印象はユニフォームがかっこよく、フィジカル重視のサッカーをする印象で、入ってからわかったけど、その印象通りだった。(笑)

昔からうまくなかったので、このサッカーは一番自分に合っていた。高校では持って生まれた勘違い力で、1年生の時に、違う渡邊が呼ばれたのを自分と勘違いして、トップチームの練習に参加し、運良くそのまま定着。(笑)100名を超える部員だったので、監督に「名前を覚えられる」ことがなにより重要だった。勘違いだけど、前に出る能力。それは後々の人生でも使える力になった。

高校選手権を目指しサッカーを続けるが、東京都の決勝で敗退。怪我も多く、高校3年の時に膝の靭帯を痛め、騙し騙しプレーをしていたのもあり、プレイヤーとしてのサッカーを引退することを決意した。

3年の進路選択では、「自分は将来何になるのか」と考えた時に、サッカーしか知らないので、スポーツ界に入ろうと決めていた。将来を逆算し、スポーツ界で一番儲かりそうな職業を探して、「代理人」になろうと決めた。そのために必要なことは何か。そう語学だ。と考え、大学でスポーツを学び、卒業後にスペインに行こうと決めた。

大学ではスポーツ経営学を専攻。スポーツビジネスの入り口を学ぶ。また、地元の中学でコーチとして活躍し、A級ライセンスを持ったコーチの元で指導方法を学んだ。今でも思うけど、自分は心底指導者には向いてなかったと思う。(笑)

【留学〜社会人】

大学卒業後は、予定通りスペインに留学した。そこでは全く喋れない状況から、毎日外人と飲み歩いて3ヶ月後には多少話せるように。その勢いで現地で働こうと思い、サッカーの遠征のコーディネートや、スペイン関連のテレビ制作などを行うNOVAJIKA.SAに連絡をした。理由は中学の時に、遠征でお世話になった会社・・・だと思って連絡をしたのが、また勘違い。(笑)しかし勘違いで手伝わせてもらうことができた。(笑)

鹿島アントラーズのユースやトリプレッタのジュニアユースなどの育成年代のチームの遠征に携わり、非常にいい経験ができた。

また、バルセロナでは多くの日本人指導者が指導の勉強に来ていたり、有名なサッカーライターの人たちやJリーガもオフで来ることが多い。自分は語学留学で暇だったので、日本人が来るたびに呼び出された。そのおかげで様々なサッカー関係者と知り合うことができ、今でもその交流は続いている。

ビザの関係で帰国をしなくてはいけないとなった時に、この流れは絶対に切ってはいけないと思った。そこでスペインにいる間に、日本の海外スポーツを専門としているワールドスポーツコミュニティに面接をして欲しいと連絡し、スカイプで面接をした。たまたま「サッカー 海外」で調べて出てきた会社でどこにあるのかも知らなかったけど、日本に帰ってから面接をすることになった。なんと場所は名古屋だった。一回も行ったことない場所だったけど、面接ですぐにでも入社できますと伝えて、入社。バルセロナから帰ってきて、すぐに入社が決まった。

ワールドスポーツコミュニティは主に観戦チケットなどの交渉を代行する会社だ。自分は海外との仕事がしたいと思って入社したのだが、待っていたのは厳しいビジネスマナー研修の毎日だった。だけど、学ぶことが大きかった。大学を卒業してから、企業に入ったことがない自分にとっては非常にいい経験になった。

仕事を自由にできるようになってからは、アトレティコ・マドリードやバルセロナで行われたフィギュアグランプリなどの契約を締結し、海外に日本人スポーツファンを多く送った。

また、LOICX GIRLS☆のプロデューサーとして2年間活動し、スポンサー、イベント営業を行った。これも非常にいい経験だった。スポンサー活動なんてしたことなく、会社もチームを持ったことがなかったので、本当に一から手探り。自分で資料を作り、何千社とテレアポをして会ってくださいとお願いした。会っても怒られる毎日。本当に鬱になりそうだった。(笑)そんな中でも10社ほどスポンサーについてくれることになったのは自信にも繋がった。

時には、講演活動も行った。自分で企画して講演をしたのもある。自分は企業を知ってもらうためには何が必要か考えた時に、こういった講演活動も地道だが必要ではないかと考えていて、入社して半年で人前で講演をした。今考えるとアホだ。(笑)しかし、そこで講演したことで大学や高校にも呼ばれるようになり、それもいい経験になったと思う。

その中でも一番の経験は多くの経営者やメディア関連の人に会うことができたこと。自分が会うのは企業でも社長ばかり。その中には役職で人を判断するような人もいたけど、多くの人は助けてくれた。気に入ってくれた社長の一人は通訳としてブラジルW杯に連れて行ってくれた方もいる。本当に尊敬しているし、感謝している。


自分が大切にしているのは、

1.夢を人に話すこと

2.一番になること

3.行動を起こすこと

夢を話すことに関しては、同時に夢を持つことにも繋がるけど、講演活動の中で、今の若い世代は夢を持ってない子が本当に多い。いや、隠しているだけかもしれない。「夢はありますか?」と聞くと、「自分たちの世代は夢を語っているのを見るとかっこ悪いと思っちゃうんで」と言われてショックだったのを覚えている。

すべての人に共通だけど、夢を語れない人を他人は応援しない。夢を話す人は周りが助けてくれるし、どんどん人が人を紹介してくれる。人生もビジネスも結局は人と人。若い世代には臆することなく自分を話して欲しい。


2つ目の一番になることは、受け売りですが、何でもいいのでグループの中で一番にならないといけない。ビジネスもスポーツも一緒。サッカーだったら何が自分にとって一番のストロングポイントかを知ること。自分はビジネスでやっていたのは会社内では"一番に電話に出ること”。講演会などでは"一番に質問すること”。なんでも一番に行動した。なんでもそうだけど、一番でないと名前を覚えてもらえない。社内では一番に電話を取るだけで評価が上がる。講演会では一番に手を上げただけで、顔を覚えてもらうことができる。なんでも一番が一番いい。


最後は、行動を起こすこと。これが一番むずかしい。自分は講演を行ったり、海外クラブと契約を結んだり、様々な経営者とお会いさせていただいていることに対し質問をされる。「どうして知り合ったの?」とか、「どうやって契約したの?」とか。でも答えは一つで、電話したり会いに行ってるから。(笑)でもそれが一番むずかしい。人は固定観念の塊で、自分なんかと話してくれないとか、自分じゃ無理だと思いがちですが、そんな事無い。失敗しても誰にもバレないし、そんなに有名人ではない。だからコネクションを作りたかったら電話をすればいいし、メールでもメッセージでもなんでも使って失敗に挑戦すればいい。

人間が行動を起こすのには必ずリスクがある。株や不動産だって儲かるけどリスクがある。でもリスクに挑戦した人だけ儲かってる。なのでリスクに挑戦することは非常に重要だと思う。


長々と自己紹介しましたが、現在は3年勤め、次長という人生初めての役職もいただき、2015年に退職した。会社にいた経験は非常に貴重だった。


現在はフリーランスとして東京で選手のマネジメントや、スポンサー営業の代行、イベントの企画などで活動をしている。